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「モナリザの微笑み」

【グループ・サウンズ】といえば、ザ・タイガースでした!

「モナリザの微笑み」(1967年8月15日に発売)

グループ・サウンズの思い出は、ザ・タイガースの「モナリザの微笑み」が始まりでした。中学2年か3年の頃、学校から帰ってきてはトップ10で一番の「モナリザの微笑み」をよく聞いていました。しかも、モノラルのラジオです、昭和の時代!

ジュリー沢田研二のボーカルも好きでしたが、トッポ加橋かつみの高音が好きでした。
「花の首飾り」「廃墟の鳩」カラオケに行くと歌うことがよくあります。引かれてしまいますが……

1969年3月、加橋かつみが「沢田研二ばかり目立って……」とやめて、海外(アメリカ?)に行った時のファンの見送りもない写真が、今でも思い出されます。トッポ加橋かつみの悲しそうな顔……。

そのあと、サリー(岸部修三、現・岸部一徳)の弟・岸部シローが入ってきました。ファンの歓迎は凄まじいばかりでした。しかし、それからのザ・タイガースはいまいち好きになれませんでした。

ところで、最近死んでしまった萩原健一がいたザ・テンプターズの「神様お願い」「エメラルドの伝説」もよかったな〜。

ザ・スパイダース「夕日が泣いている」、ブルー・コメッツ「ブルー・シャトー」、ザ・カーナビーツ「好きさ好きさ好きさ」なども懐かしいな〜。

そんな【グループ・サウンズの特集】を、今週の「週刊ポスト」がしています。懐かしい〜!
我われ昭和の世代にとって、音楽へのとっかかりはグルーブ・サウンズだった人が多いと思います。この特集は、グルーブ・サウンズ・ファンには保存版ですよ。

GSグループ・サウンズ、われらの時代

貴重写真と証言で振り返る
1960年代後半から1970年代前半にかけ、グルーブ・サウンズ(GS)は一世を風摩した。元々は輸入文化であった“エレキ”の音楽、そして欧米のボーカル&インストゥルメンタル・グルーブの模倣から始まり、ビートルズ来日後には数々のグルーブがデピュー。「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」「ザ・スパイダース」「ザ・タイガース」「ザ・テンプターズ」……年3回開催された「日劇ウエスタン・カーニバル」はGSの祭典と化し、若者の心を鷲掴みにした。しかし社会現象とまでなったものの、GSブームは短命に終わる。あの熱狂と興奮は何だったのか。写真や当事者たちの証言を元に、熱かった時代を振り返る。

グルーブ・サウンズとは何だったのか
スパイダーズのファンクラブにはタイガースの5人がいた
特注ユニフォームをボロボロにしてしまった思い出
わずか10か月のGS時代 アイ高野から学んだこと
『小さなスナック』のモデルは赤坂のスナックでした

モナリザの微笑み・花の首飾り・廃墟の鳩

私が作ったザ・タイガースのイメージ・ジャケットは、モナリザの微笑み・花の首飾り・廃墟の鳩です。

花の首飾り
廃虚の鳩

レコードジャケット・デザイン | My Image Jackets

60〜70年代には、好きなレコードジャケットが多かった。特にプログレッシブ・ロック。イエス、ELP、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、ムーディー・ブルース、ヒプノシスのデザイン、ロジャー・ディーンのイラスト。CDジャケットと違い、大きな30×30cm以上のサイズが魅力的だった。
Wa Mind「和花写流」生け花風コラージュ(和とカメラのシャッター音カシャ→花写の造語)もあります。

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