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「巨乳の誕生」と「サイゾー」2018.1月号

安田 理央著「巨乳の誕生」

2018年1月号の『サイゾー』に出ていた記事からです。ちょっと古くてすみません。

安田 理央著『巨乳の誕生 大きなおっぱいはどう呼ばれてきたのか』
(2017/11/18発売)
一昨年から昨年、日本でも身近?になった『春画展』ですが、春画にはバストが性器に比べ、あまりに簡単に描かれているといったもの。

歴史的に見れば、日本人が「大きなおっばい」の魅力に気づいたのは最近のことである。それどころか江戸時代までの日本人は、乳房に性的魅力すら感じていなかったのだ。それは春画などを見れば明らかなのだが、呆れるほど精密に性器が描かれているのに比べて、乳房はあまり描かれない。ほとんどが着衣のままであり、たまに胸元がはだけて乳房が見えていたとしても、乳首は雑な線で描かれているだけだ。

北斎の春画でも、子供の落書きのようなオッパイ!

そこで、インターネットで次の春画サイトを見てみました。

「憂世」から「浮世」
浮世絵・春画|北斎・歌磨・写楽・広重などの浮世絵・春画・美人画など。

このサイトには、日本を代表する浮世絵師を含んだ春画の11カテゴリーが、無修正で見られます。下の画像は北斎の春画です。
この春画には、オッパイは描かれていますが、こんなオッパイでは興奮しません。

※モザイクで満足できない方は、「憂世」から「浮世」

北斎の春画

なるほど、性器は精密に描かれているものの、オッパイは呆れるほどで子供の落書きともいえる描写です。また、他の春画ではほとんどが着物を着たままで、オッパイはほとんど描かれていません。
ということは、江戸の男たちは本当にオッパイには興奮しなかったということでしょう。だから、江戸時代は混浴でもあまり問題なかったということです。

【注】春画には着物を着た男女が描かれる違った2つの理由がありました。
1つ目の理由は、どんな男女が行為をいたしているのか、武家なのか、町人なのかといった素性をわからせるためです。
もう1つの理由は、顔と大きく強調した性器がまず描かれて、それから手足を描くと人体が不自然な形になり、その不自然さを着物で隠したということです。確かに、人体がどうつながっているか、おかしな構図も多いですね。

ところで、江戸の男と違って、

いつから、男はオッパイに興奮するようになった?

この『巨乳の誕生』にほ「グラマー」「ボイン」にはじまり「巨乳」という言葉の由来もあります。

「ボイン」と言えば、『11PM』で大橋巨泉さんが朝丘雪路さんのバストについて言った言葉です。60〜70年代のアグネス・ラム、そして日本では、榊原郁恵、宮崎美子、柏原郁恵、河合奈保子などのボイン・アイドル。

1983年「カパイ」「Eカップ」の堀江しのぶと続いて、癒し系のかとうれいこと。「デカパイ」「Dパイ」から「巨乳」へと変遷してきました。今は「巨乳」しかも、DカップをはるかにしのぐHカップ、Iカップが全盛期です。

だから、たったの70年ほど前から、日本の男はオッパイに興奮するようになったのです。

おっぱい」はいつから性器になったのか。巨乳愛の虚実を谷間に探る! 都築響一(編集者)

いつの時代でも大きなおっぱいが好まれていたわけではない。70年代にはユニセックスで華奢な体つきこそがファッショナブルであり、80年代のAV業界でさえも胸の大きなAV女優は人気を得ることができなかった。ようやく「巨乳」という言葉が誕生し、一般的に普及したのは1990年頃になってから。

それまでは「ボイン」「デカパイ」「Dカップ」などと呼ばれていた。江戸時代から開国、敗戦、経済成長を経て現在、社会の「大きなおっぱい」の受け止められ方は、時代を反映して変わっていく。なぜ変わっていったのか。その理由と全貌をあきれるほどの調査で明らかにした革命的論考。

【目次】
はじめに
序章 原宿に日本初の巨乳専門ショップがあった
第一章 巨乳をめぐる世界史
第二章 おっぱいは性的対象ではなかった
第三章 グラマーの襲来
第四章 ボインの時代 ナインの時代
第五章 デカパイからDカップへ
第六章 巨乳の誕生
第七章 それは爆乳と呼ばれた
第八章 21世紀の巨乳たち
おわりに
巨乳年表 1871〜2017