【テセウスの船】死とは何か イェール大学[第6講]人格の同一性

[第6講]「人格の同一性」と『テセウスの船』

この[第6講]は、『テセウスの船(Ship of Theseus)』を思い出させます。
『テセウスの船』とは、パラドックスの1つ。テセウスのパラドックスとも呼ばれます。

テセウスはミノタウロスへの人身御供の一員として、志願して他の若者たちとクレタ島に船で行きました。そして、ラビリンス内のミノタウロスを退治し、アリアドネーの糸に助けられ、無事ギリシャに帰国します。

ギリシャ神話のアルゴー船
(ギリシャ神話のアルゴー船)

テセウスが帰還した船には30本の櫂があり、アテネの人々はこの『テセウスの船』の朽ちた木材を徐々に新たな木材に置き換えて保存したのです。これが、論理的な問題から哲学者らにとって恰好の議論の的となったのです。
つまり、『テセウスの船』の全ての木材が置き換えられた時、同じ『テセウスの船』であると言えるのかどうか。

『テセウスの船』を、『私』に置き換えると、この[第6講]の考察と同じようになります。何が『テセウスの船』つまり『私』をたらしめているのか?

余談ですが、もし同じ木材で同じような船を造っても、その船は『テセウスの船』とは呼ばれません。同じように、全く同じ細胞で体を造っても、その体は『私』ではありません。では、『テセウスの船』や『私』の同一性には、何が必要なのでしょうか?

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死とは何か イェール大学[第6講]人格の同一性

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