死とは何か イェール大学・完全版要約[第11講]不死—可能だとしたら

[第11講]不死—可能だとしたら

不死、「仮定」の話はもういいのです。

「不死」というと、どうしてすぐ「永遠の生」となるのでしょうか?
そして、「不死」になったら、次に「退屈」の問題が出てきます。永遠に生きていれば、なんでもやり尽くし、最後には何をしたら良いかわからなくなってしまう、といった流れです。

読んでいて、何回も「そういうことじゃない!」と心で叫んでいました。
別に「不死」になりたいわけじゃない!
早死したくないだけ、交通事故、病死で死にたくないだけ。そして、人に殺されたくないだけ……。

なのに、「不死」「永遠の生」「退屈」のもしも話が、[第11講]ではあ〜でもない、こうでもないと繰り返されます。

どうして、哲学には「仮定」の話が多いのでしょうか?

ここで、ギリシャ神話
【曙の女神エーオースとティトノス「不死」の落とし穴とセミの話】を取り上げます。哲学ではなく「神話」です。古代より「不死」の落とし穴は考えられていたのです。

曙の女神エーオースとティトノス

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