※本ページにはプロモーションが含まれています。

(2018年2月7日の記事・8日追記)
下町ボブスレーは先に「需要」を開拓すべきだった
http://news.livedoor.com/article/detail/14267154/
『下町ボブスレー側にも夢があるように、選手たちにも五輪で活躍したいという夢があります。どちらの夢が優先されるかと言えば、それは選手の夢であるのが当たり前。「速いソリを使いたい」「一番でなくても戦える程度のものを使いたい」のは選手なら誰しもが思うことでしょう。アスリートファーストという大原則を忘れてはいけないのです。』

下町ボブスレーには厳しい記事ですが、今後考えるべき問題提起をしている良い記事です。

ジャマイカのボブスレー連盟会長の発言「誰かがブレーキを踏んでいる」の真偽が気になりましたが、調べても出てきませんでした。(↓2018.02.06特ダネ画面)

「ラトビア製ボブスレーのほうがいい」

下町ボブスレー を「ピョンチャン五輪で使わない」とジャマイカボブスレー代表チームから連絡がある。

「いま率直な気持ちというのは、悲しい」
下町ボブスレーグループの責任者・細貝淳一

2011年「下町ボブスレー」は、大田区の中小・零細企業100社のグループが物作りの技術を世界にアピールしようとボブスレーのそり開発を立ち上げる。

まるで、『下町ロケット』のような夢のある話。

その後の展開も『下町ロケット』と同じように、日本ボブスレー代表から不採用になったり、2016年1月にジャマイカ・ボブスレーチームの採用になったりした。そして、最後の最後に、この2018オリンピック年にいきなり「不採用」になってしまった。

なぜ「不採用」オリンピックの闇?

ジャマイカのボブスレー連盟会長は「下町ボブスレー」の技術力を認めているが、テスト時「誰かがブレーキを踏んでいる」というようなことを言っていた(特ダネ!)。

選手の誰かが他のボブスレー製作側からワイロでも受け取っている、とでも言いたいのであろうか。ただの「下町ボブスレー」への言い訳であろうか。調査をしているようには感じられなかった。

また、このテストでは乗る選手が違っていたり、気候条件も違っていたりして、厳密なテストにはならなかったといいます。

ジャマイカ代表は、違約金6800万円を支払える?

下町ボブスレーは契約に基づいて、そりの開発費やピョンチャン現地入りした輸送費を請求する。そり1台につき6800万円。ジャマイカにその資金はあるのだろうか。ひょっとして、裏でラトビアが払うことになるのだろうか?

過去に2回日本ボブスレー代表チームから不採用

「下町ボブスレー」のプロジェクトは、2011年に立ち上がり、これまでに日本代表チームから2度、不採用の通知を受けている。
2015年11月、ピョンチャン五輪で日本代表が使用するソリを決めるためのテストがドイツで行われた。

2015年11月、下町ボブスレー vs ドイツ製

1日目 下町ボブスレー勝利
元来この1日だけの予定だったが、1日目は条件が一緒ではなかったという理由で、2回目が行われた。
2日目 ドイツ製勝利

「タイムは僅差だったのですが、それならば一緒に開発を行える下町のソリとそれができない海外のソリ、どちらが良いでしょう?夢があって色々なトライができるのは我々のソリだと思いませんか」

最後に

今からでは遅いが、テストで僅差であったのなら、ましてや1日目は勝ったのだから、日本ボブレー代表は、「下町ボブスレー」を採用してほしかった。F1参戦のホンダではないが、オリンピックは国別対抗戦なのだから〈オールジャパン〉の体制を見たいと思うのが、我々国民ではないだろうか。

下町ボブスレー・ドラマとアメリカ映画

ドラマ「下町ボブスレー」NHK BSプレミアム2014

大田区にある親子2人で切り盛りする小さな町工場。創業者の矢島孝一と息子で2代目の健太郎のもとに、ボブスレー選手だという柳田美樹が現れ、ソチオリンピックに向けたボブスレー競技用のソリを作って欲しいと申し出る。日本ではマイナー競技であるがゆえ、選手でありながら自らスポンサー探しやソリの確保にも奔走せざるを得ない状況にもめげず、常に明るく前向きな美樹。彼女の無尽の情熱に動かされた健太郎は、町工場の職人仲間とボブスレー製作に乗り出す。(ウィキペディア)

映画「クール・ランニング」

1993年のボブスレーを題材にしたアメリカ合衆国のスポーツ・コメディ映画。
1987年、常夏の国・ジャマイカ。100メートル競走代表選手を決める選考会で、代表最有力候補と目されていたデリース・バノックはレース途中まで先頭を争うが、隣のレーンを走っていたジュニアがバランスを崩して転倒し、デリースと他の選手1人も巻き込まれ転倒し、夏季オリンピック出場の夢は断たれた。

数日後、委員会でレースのやり直しを訴えるデリースであったが、取り合ってもらえず。デリースはその時、委員会室の壁に掛けられた写真に目を留める。ボブスレーで金メダルを獲得したアメリカ人選手が写っている。現在この町のプールバーにいると知らされる。その時デリースは「ボブスレーでオリンピックに出場してメダルを獲ろう」という奇抜なアイデアを思いつく。(ウィキペディア)