死とは何か イェール大学[第1講]死について考える 裏切られた⁉︎

死とは何か[第1講]死について考える

裏切られた!死とは何か、この本は哲学書であった。

漠然と読みたいと思っていた理由は、見事にこの[第1講]死について考えるで裏切られました。別に哲学を学ぶために、この本を買ったつもりはなかったからです。

20歳前の私は、プラトン、デカルト、ルソー、ショーペンハウエル、ニーチェ、カント、サルトルなどちょっとかじっていました。大学で正式に勉強したということではありません。ただ単に興味があっただけです。特に、プラトンとニーチェは好きでした。ニーチェの『悲劇の誕生』のギリシャ悲劇論と『ツァラトゥストラかく語りき』には影響されました。

だから、形而上学的な「死とは何か?」ではなく、実存的な「よく生きるとは何か?」に関心があったのです。そして、教師になろうと思っていましたが、よく生きるとはから、大学へ行くことはやめて、まず実社会で生きてみようと思ったのです。

ところが、いつのまにか、「死」とは何か、「よく生きるとは何か?」など考えることはなく生きてきました。だから、67歳になった今、死を身近に感じ始め、「死」とは何かの本に興味がずっとあり、とうとう手にしたのです。

そして、あろうことか![第1講]最初の1、2ページでみごとに裏切られました。

それは、私が死んでいくこと、動けなくなった時の生き方など、漠然とした老後の体を考えていたからです。

死とは何か、この本では検討されないテーマ

最初の1、2ページに、こう書いてあります。長い引用ですが、死とは何か[完全翻訳版]をまだ手にしてない人には参考になると思います。

 死についての本なら当然語るはずだとみなさんが思う事柄、語ってほしいと期待する事柄が本当に書かれているとは限らない。だからまず、本書で検討しないテーマについて、少し述べておきたい。そうすれば、これがみなさんの探し求めていた本でなかった場合には、すぐにそうと気づいてもらえるだろう。

 検討しないと言うときに私の頭にあるのは、主に、「死の本質」あるいは「死という現象にまつわる心理学的な疑問や社会学的な疑問」だ。
一般に、死に関する本ではおそらく、死にゆくプロセスや自分が死ぬという事実を甘んじて受け容れるに至るプロセスが詳しく語られるだろう。だが、本書ではそういう話はしない。
また、死別したり死者を悼んだりするプロセスについてもまったく語らない。そして、葬儀業界について論じることもないし、私たちが死にゆく人に対して取りがちな態度の問題点や、死にゆく人を他者の目に触れさせぬようにしようとする傾向を話題にすることもない。これはみな、申し分なく重要なテーマだが、今述べたとおり、本書で取り上げるものではない。

では、いったい何を語るのか? 本書では、死の本質について考え始めたときに湧き起こってくる哲学的な疑問の数々を検討することになる。たとえば、「私たちは死んだらどうなるのか」といつた疑問だ。とはいえ、じつはその疑問に立ち向かうためには、真っ先に次のような疑問について考える必要がある。
 私たちは何者なのか?
 人間とはどのような存在なのか?
そしてとくに重要なのが、私たちには魂があるのか、という疑間だ。

死とは何か[完全翻訳版]3,135円は無駄金であったのか?

では、宣伝のキャッチフレーズは正しいのだろうか?

余命宣告をされた学生が“命をかけて”受けたいと願った イェール大学伝説の講義!

実際にいたとして、この学生はこの講義に失望しなかっただろうか?
そんな疑問を考えてしまいました。

なぜなら、余命宣告されて“命をかけて”受けたいと願った講義なのです。そんな、切羽詰まった学生が

私たちは何者なのか?
人間とはどのような存在なのか?
私たちには魂があるのか?

と、考えたりするでしょうか。もっと、宗教的な救いを求めてはいなかったろうか?
また、死について考えることは、つまり平安を求めているのではないだろうか?

しかし、またまた、著者シェリー・ケーガンはこう書いています。

第一に、すでに説明したとおり、これは哲学の本だ。つまり、基本的には、死に関して知りうることや理解しうることについて、論理的思考力を使って非常に注意深く考えることに徹する。本書では合理的な見地から死について考えてみようとする。だから、ある種類の証拠やある種類の論拠は本書では使わないことははっきりさせておく必要がある。それはすなわち、宗教的な権威には訴えないということだ。

宗教的な権威とは、キリスト教、仏教……あらゆる宗教のことです。

はたして、「死」とは何か 完全翻訳版、この本を買う前の疑問が再び出てきてしまいました。
「死」とは何か[完全翻訳版]再疑問「読むべきか、否か?」

死とは何か[日本縮約版]でも、良かったか !?

著者シェリー・ケーガンは、「死」とは何か[完全翻訳版]おおむね前半は形而上学、後半は価値観とはっきり書いています。また、

〈死についてのシェリー先生の見解〉
私は魂が存在しないことをみなさんに納得してもらおうとする。
不死は良いものではないことを納得してもらおうと試みる。

魂は存在しないって !?
読み続けます。気になりますから。
漠然と思っていた読みたい内容は、主に第13講・第14講かもしれません。

また、すべての講義の感想を【備忘録】として書いてみます。完読してから書くのではないので、ちょくちょく追加・修正することもあります。それでも、誰かのお役に立てれば幸せです。ただし、大学で学んでもいない67歳の感想です。あしからず。

死とは何か[日本縮約版]は、太黒字にした第2講から第7講が省かれています。
第1講:「死」について考える
第2講:二元論と物理主義
第3講:「魂」は存在するか
第4講:デカルトの主張
第5講:「魂の不滅性」についてのプラトンの見解
第6講:「人格の同一性」について
第7講:魂説、身体説、人格説ーどの説を選ぶか?
第8講:死の本質
第9講:当事者意識と孤独感—死を巡る2つの主張
第10講:死はなぜ悪いのか
第11講:可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたい
第12講:死が教える「人生の価値」の測り方
第13講:私たちが死ぬ前に考えておくべき、「死」にまつわる6つの問題
第14講:死に直面しながら生きる
第15講:自殺
死についての最終講義/これから生きる君たちへ