※本ページにはプロモーションが含まれています。

ゴルゴダの丘への道:コッラード・ジアキント

象鼻の奇形、全前脳胞症の赤ちゃんの母親の言葉

医師に人工妊娠中絶を勧められた時も、きっぱり母親は伝えました。
「人の手によって命の期限を決めることはありません」
また出産後、義理のお母さんに「流産を祈っていた」と言われたとも書かれています。

「重い障害を持った子を受け入れるもなにも、自分の子を殺したい親はいないと思います。すべてあるがままに自然に生かされているだけです。私たちが胎児の命を絶つ権利など持っていません。中絶は選択肢ではありません。障害児が生まれることは、誰にでも起こることです。神様の何かのご計画かな?と思っただけですんなりと受け止めました」

「私たち夫婦は芸術を生業にしているので、美醜については普通と少し違う感覚を持っているかもしれません。賛(たすく)の顔の中で鼻が特に可愛く思うほどです」

=(ことばをそえて)たすける、たたえる・ほめる・たすける
ご両親のお気持ちが察せられる名前ですね。

象鼻の奇形、全前脳胞症の赤ちゃん…医師は中絶を勧めたが出産
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171229-00010000-yomidr-sctch&p=1(12/29(金) 7:13配信)

子供は親を選んで、生まれてくるのか?

ところで、子供が親を選んで生まれてくるのでしょうか?
それとも、親の器がこのような子供を育てられるのでしょうか?

仏教では、人生は修行だと教えています。すると、子供は親の修行のために親を選ぶことになります。親が子供を選ぶことはできないからです。どんな子供でも喜んで受け入れて育て、幸せになるだけです。

もし私が難病な子供を授かったとしたら、妻がどう言おうと人工妊娠中絶の決断をしたと思います。選んでくれた子供の思いなど考えずにです。自分の狭量が、情けなくもあります。

65年間、どれだけの重荷を背負ってきたのか?

「自分には、重たい荷はとても背負えないのか!」
男の寿命は約81歳と言われます。あと16年ある人生を振り返ると、妻や子供のことにどれだけの愛情を注いできたのか、考えてしまいます。自分のことで精一杯に生きてきた自分勝手な夫であり、父親です。

幸いなことに私も家族も重い病気にかかって入院したことはありません。また、子供たちも不始末を起こしたりせず、幸せに暮らしています。

一番ダメなのが、これといった遺産も残せない、情けない自分です。いっそ、誰かが重い病気にでもなった方が良かったのか。そうすれば、自分のことなど吹っとんで、妻や家族のことに一生懸命になれたのか、そう思わないでもありません。バカな考えです、分かっています。

そういえば、昔『エレファントマン』という映画がありました。暗いモノクロームのような映画でした。私が見るようなジャンルの映画ではないので、どんな理由で観に行ったのかよく思い出せません。映画のサントラ盤をもらったからだっだかな……。

背負いきれない重荷—ルカとマタイの福音書

ルカによる福音書(第11章)
負い切れない重荷を人に負わせながら、自分ではその荷に指一本でも触れようとしない
パリサイ人の立法学者の質問に、イエスが答えた言葉です。

マタイによる福音書(第11章)
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう
バプテスマのヨハネの使いを返した後、イエスが十二使徒に語った言葉です。

これらの言葉が元になって、「神は背負いきれない重荷を負わせない」という教訓が生まれたのでしょう。