©️『週刊大衆』9/26・10/3号より
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料理の鉄人 道場六三郎(91)生涯現役の秘訣
『週刊大衆』9/26-10/3号
和のカリスマ直撃100分
梅宮辰夫、宮沢りえ、萬田久子、中曽根康弘の素顔から、伝説の料理番組『料理の鉄人』秘話、波乱万丈の人生まで!
道場六三郎『鉄人の台所』15.7万人登録(9.15現在)
〈和の鉄人〉道場六三郎の言葉etc
料理の鉄人「絶対負けられない!」から「自分の料理ができればよい」
『料理の鉄人』は、当初は6か月の予定だったそうです。それが人気になって3年間、道場六三郎さんは〈和の鉄人〉を続けました。
ふつう厨房はお店のおかみさんでさえ入れない神聖な場所であったそうです。しかし、『料理の鉄人』ではカメラが入って、鉄人と挑戦者の手元をアップでとらえます。このようなタブーを犯した斬新性が人気になったのではないでしょうか。
また、我われ視聴者にとっては、食材が何かわからない、鉄人がぶっつけ本番で何を作るのか、とハラハラドキドキして見ていました。道場さんの言う「とっさの料理」に興味津々だったのです。
道場さんは最初決闘に行く武士のように「絶対負けられない!」と考えていたそうですが、やがて「自分の料理ができれはいい」と考えるようになったといいます。負ければ、対戦相手が喜ぶんだから、と。しかし、彼の勝率は9割に近く、和食の料理人には負けなしでした。
思い起こせば「道馬六三郎vs梅宮辰夫」もありました。梅宮さんは手が震えるほど緊張していたそうです。(道場六三郎の勝ち)
宮沢りえ「散ることを知りながら咲くことを忘れず」
萬田久子さんはボトル1本h力で空けるほどの酒豪だったそうですが、今はマラソンにハマっているそうです。道場六三郎の奥さんが亡くなった時、「ときめきを忘れないで」と言う花とカードが届いたと言います。新しい料理を考えることにときめき、好きなことにときめく、人生幾つになってもときめくことが大事と教わったと言います。
また、宮沢りえさんもお酒が強く、4号瓶一本飲んでから平然とバーに行かれるそうです。そんな彼女に
「一番好きな言葉は何ですか?」と聞く道場さん。
宮沢さんは即座にこう答えたといいます。
「散ることを知りながら咲くことを忘れず」
どんな人にも死は訪れますが、花を咲かせることにチャレンジすることが大事と、道場さんは解釈しているそうです。
道場六三郎、谷あり山あり
17歳とき、郷里の石川県山中温泉の魚屋で料理を始めた道場六三郎さん。ある旅館の板長から「今のままだと、ちゃんとした料理人にはなれないぞ」と忠告されました。
人が3年かかって覚えることを1年で身につける覚悟だったそうです。
ある時、金沢の『白雲楼』での出来事。年上だが立場が下の板前と包丁を持って喧嘩なり、度胸と睨みで相手を怯ませます。その時、「突けば監獄、突かねば地獄」と思ったそうです。どちらに転んでも、料理人・道場六三郎はありませんでした。
東京祖師谷に高級惣菜店を出したが失敗し、銀座の和食屋で重役になるも、店は不渡りを出してしまいます。そして、道場六三郎40歳の時に『銀座ろくさん亭』を開店。今も名店として50年以上続いています。
©️『週刊大衆』9/26・10/3号より
「90を過ぎても、なぜ、そんなに元気ですか?」の道場六三郎の答え
「流水濁らず、忙人老いず」
暇があれは料理のことを考えている道場六三郎さん。体は機敏に動かないけど、年をとるごとに思考力や想像力には磨きがかかります。そして、たたずまいに心構えが表れる「料理人は、人に見られていることを意識しなければいけない職業」と答えられています
終わりに
「絶対負けられない!」
「自分の料理ができれはいい」
「ときめきを忘れないで」
「散ることを知りながら咲くことを忘れず」
「流水濁らず、忙人老いず」
4ページの記事ですが、『料理の鉄人 道場六三郎(91)生涯現役の秘訣』の中には、珠玉の言葉が溢れていました。また、人が3年かかって覚えることを1年で身につける覚悟。努力なくして、結果はありません。
その中でも、「90を過ぎても、なぜ、そんなに元気ですか?」の道場六三郎の答え
「流水濁らず、忙人老いず」
私は今年7月に70歳になりましたが、毎日けっして立ち止まることなく、流れるように考えながら生きていこうと思っています。貧乏暇なしの人生も、ボケない理由かもしれません。
たった数分の『今日の立ち読み』でも、気づくことが多々ありました。