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タケモトピアノCM(画像は、タケモトピアノ・ホームページCMから。以下同じ)

財津一郎さん、2023年10月14日に亡くなりました。享年89歳。

18日に通夜が行われ、19日が告別式でした。財津一郎さんのご冥福をお祈りいたします。

【速報】タケモトピアノCMでおなじみの財津一郎さんが急逝、TBS『日曜劇場 下剋上球児』で鈴木亮平と財津優太郎の“2人の孫”が共演も初回放送直前に息を引き取っていた

母を支えることが父の活力でしたから、母が亡くなってから元気がなくなったのは確かです。母の死後は、体調が悪くなることもありましたが、大好きなゴルフを楽しむため、リハビリを頑張っていました。高齢で危ないので、運転免許の返納をお願いしていましたが、ゴルフをしたいから頑として首を縦に振らなくて……。なので、僕がゴルフ場に送って一緒にプレーすることを条件に免許の返納をしてもらいました。ゴルフの腕前はなかなかで、今年は自身の年齢以下でホールアウトするエージシュートを出したんです。89歳にして、スコアは87でした。

「8月ごろ、血液を全身に送り出す心臓の力が弱まってきたんです。“入院だけはしない”とする本人の意思を尊重し、自宅療養を続けていました。何でも人に頼らず“自分でやる”という人でしたが、10月の初旬からは歩くのも困難になっていき……14日に息を引き取りました。死因は慢性心不全でした」

(財津さんの息子)週刊女性PRIME

バスト・トップのトンガリが気になって!

わたしには、このCMでいつも気になって仕方がないのは、女性のコスチューム。
特にバストトップのトンガリにいつも目がいってしまいます。最後の方でバストをフリフリしてよくわかるトンガリです。

タケモトピアノCM

テレビではちょっと小さくて、一瞬ですので、拡大してみました。
いかがでしょうか?
また、全身タイツ風のコスチュームにも目がいってしまいます。全身ですから、ついつい、目が……にいってしまいます。(わかりますよね。下の画像参考)

タケモトピアノCM

プレゼントして君好みに彼女に!
理想のマシュマロ美乳をつくり出す【ふわっとマシュマロブラ】

『マツコの知らない世界』でも、このCMをピックアップ!

マツコさん、タケモトピアノに最大級の賛辞

「業界も助けられてるのよ」
「CMが埋まらなかったときに頼みに行くのよ」
「そうすると『おお! そうか!』って出稿してくれるのよ、タケモトさんは!」
幼少期は、超がつくほどテレビっ子だったマツコさん。

タケモトピアノCMの見所は、「脇で踊る女性ダンサーさんが、表情や動きできちんと演技をしている」とのこと。
さらに、撮り直しがないことについても触れ、「ってことはあのお姉さんたちも4、50歳ってことでしょ?」「会いたい!」とキャストとの対面を熱望しました。

女性ダンサーは、プロだそうです。
下の療養中の財津一郎が語った「タケモトピアノ」CM誕生秘話参照。

【大手企業の“シリーズCM”に対抗 「変えないCM」の強度】

「変えないCM」だ。あえて、この手法を貫き通すには何か理由があるのだろうか?
2000年8月1日から全国放送を開始し、今年で19年目を迎える超ロングランコンテンツとなっている。しかし、これ以前には、実は6本もの別CMを制作していたのだそうだが、思ったような広告効果を得られず、まさに社運を賭けたものとして誕生したのが、このCMなのだそうだ。(中略)
「もっと、もーっと、タケモット」の歌詞を考案したのは、同社で長年、広報を担当してきた北川勝利氏。竹本会長からの“特命”を受け、ひと月近く悩みぬいた挙句に降臨してきた歌詞だったそうだ。
扱っている商品はピアノだけに、触れる機会が多いのは子供たち。「子供たちに好きになってもらい、歌って踊ったりしてくれたら、いいなぁ」とCMへの想いを語った北川氏。その想いが届いたのか、このCMの有名なエピソードに「赤ちゃんを泣き止ませる」という効果があるという噂がたち、同社への問い合わせが殺到した。

サントリーウイスキーの「山崎」のCMではないが、
「何も足さない。何も引かない」が良いことでもあるのだ。

ところで、財津一郎さんといえば「てなもんや三度笠」

私が記憶している限りでは、
財津一郎さんがテレビに出てきた最初は、あの藤田まこと( 2010年2月17日 76歳で没)と白木みのる(2019.11.15 現在85歳)のデコボコ・コンビの『てなもんや三度笠』でした。
素浪人役で、刀を舐めながら気味が悪い笑い声と

「うれし〜〜〜〜〜い!」
「う〜ん、寂し〜〜〜〜〜い!」
「〜して、ちょ〜〜だい!」

と、いった独特の言い回しで、ものすごいインパィト。これで、財津一郎さんはブレイクしたと記憶しています。

昭和生まれの世代には、『てなもんや三度笠』を記憶されている方が多いと思います。

財津一郎さん

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療養中の財津一郎が語った
「タケモトピアノ」CM誕生秘話

(以下、11/11配信「NEWS ポストセブン」より)

──タケモトピアノのCMに出ることになった経緯を教えてください。

財津:もう20年以上も前のことだからね──。タケモトピアノは、東南アジアの貧しい幼稚園や小学校にピアノを送るボランティア事業をやっていたんです。かつて、高度経済成長下の日本では、ピアノを手に入れたがる人が多かった。夫婦が一生懸命努力して稼いで、子供のためにピアノを買っていたんです。その子供が独立した後は、ピアノが花瓶置きや本棚みたいになっちゃっていたので、それを回収してリメイクし、東南アジアの教育施設に送っていたんです。

僕も音楽が好きだし、ピアノも好きだから、ピアノをリメイクするっていうのはいいテーマの仕事だなと。しかもボランティアで東南アジアに送り出すという。それで話に乗ったんです。

CM撮影の時(1997年)は、僕はちょうど脳内出血で倒れた後で。だから、手術で剃った髪の毛が伸びてなくて、五分刈り頭だった。退院して最初の仕事が、タケモトピアノのCMだったんです。

──「ピアノ売って、ちょうだ〜い」のフレーズやあのCM構成は、どのように生まれたのですか。

財津:社長さん、あ、今は会長さんですね(竹本功一氏)、彼が僕をすごく好いてくれていたこともあって出ることにしたんですが、撮影に入ってみたら、共演するのは当時の関西の名ダンサーたちでした。一流のね。僕はまだ、脳内出血で開頭手術した後で、やっと退院して現場に行ったら、すごい動きでしょ。ダンサーと一緒に踊ってほしいという話だったのですが、僕は「ちょっとあの動きはできない」って言ったんです。そうしたら振り付け師の方が「それじゃあ財津さんだけ当て振りでいきましょう」って提案してくれて、「ピアノ売ってちょうだい」「電話してちょうだい」って、あの動きを付けてくれた。

で、やってみたらとても評判が良かった。会社も成長して、CMもよく続いてね。「もう今年で終わりじゃないか」って思われてから何年も経っているんだけど(笑い)。いま僕は仕事していないので、僕の最低限の生活を守ってくれているのは、あのCMなんです。

──CMの反響で生活が変わりましたか。

財津:ひとつひとつの仕事を誠実にやっている会社のコマーシャルに出演したという意味では、わりと僕は恵まれていたと思います。今は、わけの分からないコマーシャルばっかりだからね。また、僕にとって最後の主演映画になっている『ふたたび』のロケ地は、タケモトピアノ社でした。

──今は芸能活動をしていないと聞きました。

財津:もう85歳になってね、脊柱管狭窄症になって、どうにもならないです。この(取材が行なわれた自宅の)階段が危ないんですよ。今日はたまたまちょっと調子が良いけど、ベストじゃないです。

89歳のママ(妻)も最近倒れたんです。目の前で、ガシャーンと真正面に倒れたんです。頭は打ってないけど、(肩と肘を押さえて)ここにヒビが入っちゃって、身動きがとれない。寝室の階段も上がれないんです。いま、どっちが先に逝くかなっていうゾーンに入ったと思っています。いまはピアノのおかげで生き延びている。タケモトさんには感謝しています。

──今はどんな暮らしを?

財津:ママの代わりに、僕が全部やっているわけよ。炊事、洗濯、掃除、ゴミ出し。それでヘトヘトなの。そうしたら、ママがまた倒れた。転んで、いま動けないから、食事も全部、僕が作っている。これは疲れるね。厨房で40分立って作るでしょ、それでヘトヘトになっちゃう。女性ってのは、いかに厳しい仕事をしているかって分かったよ。

僕も人生最後の、ラストカーブを回ったからね。ゴールははるか向こうに見えるから、ランナーならゴールまで突進するけど、僕は絶対急がない。一日一歩、一日一歩と思い、最後の人生を味わっている感じです。

タケモトピアノのCMも若い子たちを使ったものに作り変えるとか、いろいろ案は出たらしいのですが、会長さんの意向で続いていると聞いています。タケモトさんには感謝しています。

ピアノが生き返るっていうのは、素晴らしいこと。ピアノは、人間を支える。音楽、ピアノの音が、人間をどれだけ助けているか。そういう仕事に携われたっていうのは、本当に感謝しています。

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タケモトピアノ 竹本功一会長『週刊ポスト』に出演

タケモトピアノ竹本会長

(以下『週刊ポスト』2019.11.11発売より)

知名度抜群のタケモトピアノだが、社業の中身は意外なほど知られていない

会長を務める竹木功一氏が、米国のガレージセールで中古ピアノが販売されているのをヒントに1979年に起業したというから、創業40年を迎える。創業当時、折しも高度経済成長とともにピアノが一般家庭に広く普及していた頃だったが、了供か成長して弾き手がいなくなり、埃をかかぶったままのピアノを持て余す家庭が少なくなかった。手放す手段がなかったこともあるが、ピアノはどの家庭にとっても特別なものだった。幼いわが子が小さな手で鍵盤を叩く姿は忘れがたい。心温まる懐かしい思い出が、ビアノにはたくさん詰まっていた。

「そんな大切なものを引き取るからには、生半可な気持ちではできません。お届けする家庭でも大事に弾いてもらうために、誠心誠意、お客様とピアノに向き合う覚悟で、ここまできました。買い取らせていただいたピアノは、入念に修理と整備を行ない、今では欧米を中心に世界60か国以上の国々に輸出しています」(竹本会長)

終わりに、今もトンガリに目がいって…

タケモトピアノのCM、今も流れるたびにトンガリに目がいってしまいます。
それにしても、
1本のCMが長期間使われることによって、仕事をしていない財津一郎さんの生活費が賄えるのだから凄いですね。もはや、生涯年金のようなものです。

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